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2017年9月27日水曜日

ひしめくことば


 すごい形相で世界をにらみつける君の神秘的な解像度にひらめきと痕跡を残すだけの世界の胃の中で真相解明されるものなどは、答えを用いるだけの退屈に悲観をぬいつけ、あたかも悲しいように示すような愛などが、愛と呼ばれ、一途に何かを愛することすら平気で捨てるような現代的な空虚感に磔にされた君は静謐の彼方で理論的な相応と、構造的な排除を謳いながら、長らくに迫るセンチメンタルな雰囲気に解除されるだけの公平性から、平衡を謳うほどに偏るのが、この世界での普通であり、そこで平等を求めるほどに、誰もが差別的な変換を繰り返すための反復から、干渉するほどに、形跡を汚すだけの生活から、芸術性は、制度の中で膠着し、あらゆる創造性は、普遍的なものに統合され、正常を用いながら、秩序や倫理の彼方で自然性をそこない、そこで境界を生み出すほどに、普遍性とはそこなわれ、そこで普通とされるものに苛まれるほどに、真実や自由などはそこなわれ、そこで仮死化するだけの日々に加工された自己を幻想の中で惰性に行き来させるだけに終えるような日々に空虚さが溜まり、超巨大なニヒリズムに変換されるだけの自己を傍観し続ける自分をシステマチックに処理し続けるだけの官僚制的な性的な制圧から、圧壊した精神は、悲劇を加工しながら、ゲノムの中にまで苦痛を浸透させ、次の人類にまでダメージを与えるのだ、と井蛙な者が閉め出すだけの意識的な苦痛に共助し続ける法の中で善悪を示すだけの欲望を変換し、顕官が生み出す劇薬のインクで落書きされただけの現実などに消費される精神は、敬神するほどに、全体主義的に消散されるだけの定めに悔悟をため込みながら、自ら生み出す罪により、憎しみを加速させ、ルサンチマンに変化し、自らを殺めるための祈りをし、織り込まれる憎しみとの対峙を続け、互いをとがめるだけにひたり続ける苦悩が擬態化し、加算される苦痛に処理される日々は、憎しみを変換し続けるためのシステムとして強固なものになり、担うべき意味に希望を持たせずに、ただ、何かを処理し続けるために、恨むための対象を作り出す。

 制御不能におちいった行政が生み出す階段をのぼるための日々は退屈に極まりない、と回線を混濁させるだけのあいまいなマインドは、何かを破壊するだけで、何も生み出せずに、何かを否定することだけが、自らを癒やすのである、という偏執した意識などは、すべてペシミズムに毒され、自らこそ正しいという誤りを正せずに、過ちをとがめるだけの理性をそこなった怪物どもが支配することに従属するほどに、補完され続ける憎悪が高尚をそこない、善悪の表に支配され続けるほどに懈怠する精神は、軽薄な信仰にひたり、作り物の神や、張りぼての神を自らが作り出し、神格化された人間が作り出した神を信仰するほどに空しさは昇華されたように思えるだけで、そこで信じている自分を信じることを忘れているのであり、あらゆる真理を持ち上げ、自らをそこなうためだけにためらいを生み出す空疎な信仰のコードで上書きされただけに満たない現在に絶えるだけの理想を組み込むための帰巣を繰り返す意識は、偽装され続けるほどに偏執していき、義務感に追われ、観衆に答えるために演じ続け、自らを消費することだけに専念し、自らをねじ曲げてでも、何かを同調することを選ぶほどに擦れは生まれる。

 ここに現れ、あてがわれる正否や生死を超えて、陰鬱な因果を超克すべく、統合されるだけの日々が示す正常さなどは、そこに用いられる差異が示す正しさだけが、示す正常であり、理性をそこなった者が示す快楽的な段階が生み出した政治的な正否から、啓示された者だけが、正しいことを語るのだ、と騙るような全体的な世界が示す暗澹とし、澱んだ答えの中で垂涎する者だけが、正しい物事を設立させるのだ、というあいまいな正しさが示す正しさなどは、答えを撒き散らす汚穢にすらいたらずに、自らの汚さを隠すために何かで偽装し、自らを正当化するための答えを吐き出しながら、次から次に何かを汚すことだけに専念することだけが、何かを正しくするのだ、という誤りに気付かずに、起動されるものだけを捉えることだけが、正常であるように示すような機械的な改ざんから、感覚をそこない、流されることだけが正しいことのように示される間に迫るアイロニーや、そこに生まれる隘路によりさまよい、ふさぎ込んだ感情が混濁する意識的な誤りから、精神的な相続を受け取り、あたかも正しいように示す間に生まれた正しさなどは、ただ、何かを支配し、制圧し、自らの私腹を肥やすための理想を、今にあてがい、あたかも正しいように示す間に生まれる絶え間ない怒りを生み出すだけの理想などは、理性などは持たずに、諸元から現れた膿を漁るだけの貪婪な者として成長し、反旗を翻すために快楽的な破壊の段階へと上り詰めるだけのオプティミズムが横溢させる自由などは、自由を利用し、何かを徹底破壊するための理想を供給し、過剰になった精神は、自らを止める手立てすらそこない、何かを破壊することだけが正しいもののように崇めることだけが、正しいことのように扱われるようになったことが、今に永続している。

2017年9月26日火曜日

原生


 抵抗感をましていく意識は、自らに対立しながら、反芻する意識が、儀式を超過し、完全性を謳うだけのアイロニカルな照応から、寛容さをほどこす論理的な育みに帰巣する意識的な鳥たちが脳内を旋回し、循環することで、煌煌と輝く印象的な緩和から、生じる由縁にもとづく永劫をほぐし、緩衝する隙間に、関連していく思いは、姿勢を正し、自らの証拠をねだるだけの君のエゴすらも受け入れることで、この行いは、協調をめざすよりも、同調にもとづく痕跡を追い越すだけの諦観をむさぼる輩の獰猛な欠如を受け入れるよりも、幼稚なギミックをほどこし、一体感などを謳うよりも、引き合い続ける意思的な共立から、確かな愛は、めざすべきものを直立にし、憎むよりも、そこで伸び、能動的に消費する猥雑な観念が打ち出すファシズムや、憤懣をかき鳴らす同情のカラスどもが貧相な主義を用い、物々しいもので、今をしいたげながら、史観を打ち砕くほどの補完を高らかに謳い、興じる由縁や、消耗するだけの日々に世界性を征服するためのニヒリズムを用い、混沌とさせるほどに、補正され続ける精神などは、正式な意味を持たずに、もたらされるものに左右され、猜疑心を溜め込み、互いをとがめるだけの論調から、浪費し続けるだけのシステマチックなものとして物質的な猶予やから、流動し続ける先に現れる悔恨や、根源を焦がすほどの愛が補填する愛が多面になびき、自らを消化させ続けることで、ことごとくの苦しみを昇華にいたらせ、万物になびく優雅な意志が、従えるものも持たずに、立場を使わずに、用いられる名前に反することだけが、ここでの感触を確かなものに変える。
 捕食者が流用するだけの悲劇がもたらす構築されただけの理由が収容された囲いを打ち壊し、記録されただけにみたないものを崇めるだけの輪唱から、懐疑的な日常に迫るヒリヒリとしたものが、空間を支配し、誰もが、何かを恨むための同調をねだり、めざすべき確かさも足枷に変わり、かいがいしく謳われるものに介するほどに、関するものとは退廃し、そこで用いられるものなどは、苦しみのサイクルを繰り返しめぐり、そこで反復し続けるものが、互いに反響し、そこで反旗を翻すための猛々しいものを否定し、貧寒な者になるべきだ、と説得するような普遍的な迎合から、エゴとはねじ曲げられ、自らを強調すべく、自らの意志を従えるだけの者が、何かを得るべく、懶惰なままに何かを選ぶことで、ことごとくはねじ曲げられ、そこで与え合う影響は、互いをとがめるだけの理想を強調し、同情を求めるだけの退廃的な理想は、理性を持たずに、輪唱するものだけが、ここでの意味を強固なものにし、そこに現れる理由などは、たいした意味も孕まずに、ただはびこる悪意を捏造しながら、勧誘し続けるだけのシステム的なものに疎外される意志は、短絡的な高揚感を求め、売買することで快楽へといざなうだけの退化から、干渉するほどに、自らを幼稚なものに変化させ、限界を生み出すだけの資本的な記号として生きることだけが、正しいものである、と宣言し、自らを退廃させる。陳腐な理想を掲げ、自らを騙すほどに、ほどこされる意味は、今をちぐはぐにし、誓いを立てるほどに、自らを誤りへと導き、引き合いにだされたものに惰性で支配され、行き交う者が、正しさを語るほどに、自らの正しさとは、程遠くなり、担うべき理想などはなく、ここで、似合う者になるために、何かと合わせるほどに、自らを喪失し、幼稚な世界に組み込まれていく。理想とは、理性を失うことで求められ続け、用いられたものに支配されることで、芝居じみた毎日を納得させるためだけに、理想とは現れる。
 本質的な愛を改ざんし、換算するための贋物の愛が迫り、愛と騙られるほどに、愛とは、自らを愛することをとがめるだけの理想を生み出し、理性をそこなわせ、そこで蓄積される苦悩と対峙するほどに、自らを奪うための関連性を示すようなコードの中で、行動をとがめ、駆動すべき理性も、そこでマゾヒズムにひたり、自らの意思で動くことは、何か悪いことのように思うほどに、自らを誇示する機能が働き、自らを騙すためにためらわずに誰かを騙すほどに、自らを未熟な者に変え、何かをしたがえることで、自らを誇示し続けるほどに、自らとの懸隔は生まれ、はびこる悪意が生み出し等差に支配され、自らを喪失し続ける先に生まれる偏りが示すものだけが、物事を確かなものに変えるのだ、という言辞の足枷を外せずに、ただ、短絡的に退廃することで、情報の中で譲与されるものだけが、自らを正しいものに導くのだ、という神が死んでから生まれた情報という神の中での善悪などに善悪などは存在せず、何かに左右されることで、自らを善にも悪にも変換できるような簡単な処理の中で勝利を謳うような模範解答的な普遍性こそが、清潔感をもたらし、自らを善良な者に変えるのだ、という誤りから、過ちは加速し、そこであらがうべき意志も、自らの正しさを見出すほどに、自らを見くびり、自らが正しいのに、何かに左右されることで、自らを正しいものに仕立て上げることもできずに、蓄積される情報に飲まれ、自らの誤りを見出すだけにいたらせられるような退廃的な理想に対比されるだけの正否などは、自らの正しさには近付くこともできず、何かに統合させられるほどに、統制をめざすだけの情報の中で完結させられた意思は、どこにも行き着けない、と帰る場所をばかりを求め、そこで乖離し、場面から懸け離れることを知らずに、何かを埋めようと必死にもがくほどに、何も埋められずに、空しさばかりがひろがり、自らを喪失し続ける。

2017年9月25日月曜日

光速


 どこにも行き着かぬように走り去る衝動は、何事にも束縛されずに、自らを加速させる思いと共に姑息な永遠性を放つだけのスタッカートや、関連性を求め、カテゴライズされるものから放たれ、過ぎゆくほどに、ほどける感情は、そこにとどまらずに、自らを加速させ、完全性や、そこで制度に付着させられる前に離れ続けるほどに、愚鈍なものを飛び越え、超越し続ける限りに陰らぬ精神は、正否を用いずに、ただ、現れるものをそのままに愛するよろこびだけを生み出し、そこで見出す意味などは、かたよりを生み出し、偏執するだけにいたる意味などは、敬神や、軽薄なものを持ち出し、意味を混濁させるだけにいたるし、あらゆる原理とは、今を膠着させるだけにいたり、恍惚感とはほど遠くに、感覚を麻痺させ、そこで沈積する意味に膿が現れ、あいまいな今を加工するだけの品位や、倫理で課せられた義務へと苦しむ今に肥満化していく実体は、何かを信じるためだけに、自らを廃棄し、はびこる悪意に反するほどに、自らを悪に転化させるだけにいたり、あらゆるイメージに加工された倫理に隠逸していく衝動は、自らを抑圧させ、さらなる苦しみを運び、短絡化していく意味は、指定されるだけの義務へと移行し、行為に比重を与え、用いられる意味の重みに自らを破壊するだけにいたり、あらゆる疎外感をふくませた未熟な思想は、真理を謳いながら、朦朧としていく意識はもつれ、そこでもたらされる苦しみを生産し、さらなる苦しみを、自らに課せ、重なり合うほどに、横暴な衝動にみちびかれ、派生する意識は、意味を否定することもできずに、用いられる意味に苦しめられることだけが、よろこびにつながるのだ、と妥当に生み出される意味は、惰性に意味をみちびき、自らを悲観させ、時間の中に閉じこもられ、空間から逃れられずに、放たれるべき意志は、形式に犯され、簡単に処理されるだけの普遍的な魔物どもに精神を食い尽くされる。あらゆる支えを喪失した君を吸収するための言葉が次々に鬱々としたものを運び続ける。想念にたまるよどみを解除すべきだ、と信仰を用い、求める神に共依存的に相似していくだけの間隔に迫る贋物の価値が次なる悲劇を用い、自らを崇めぬ限りは、祟りが起こる、と宣言するような短絡的な同意を求めるだけの信仰などは、すぐさま排除されるべきであるし、高次にいたるためには、何かを捨てるよりも、より獰猛に同意を求めるだけの契約や啓示から放たれ、逃げ惑うべきであるし、そこでとどまるほどに、自らを膠着させ、苦しめるための強迫的な行為が迫り、不安を解放するために祈りを続けるほどに、空虚な昇華は、次なる不安を探し、不安定なままに、何かを信じることでしか、自らの存在を認められずに、認識の誤りを正せずに、惰性な判断が用いる善悪に消費され続ける精神は敬神を続け、消費され続ける精神は、正義を謳いながら、自らの悪意のために、自らに罰を与え、罪を課せられ続けるほどに、自らを惨めにいじめることだけに用いられる欠如を謳うだけの信仰などは、信仰にいたらずに、自らを信用できずに、何が信仰か、と加勢するだけの意識的なまがい物を吐き散らす魔界から現れる空虚さが、今に差異を用い、自らを誤り続けることでおちいるだけの欠落にはまりこみ、自らを不実な者に仕立て上げ、自らが課せる苦しみが背負う罪を認識するための祈りを加速させ、自らを簡単に昇華にいたらせるだけの短絡的な祈りなどでは、自らを昇華させるにいたらず、創造性が足りぬから、そこで対比されるものや、大義も持たずに、陳腐な価値が示す値により、コード化される精神は、敬神へとひたり、自らを利己的な者に変換するだけの記号としての役目を果たし、大量生産的な生死から、正否を求めるだけの愚論へとひたるだけの過ちから、あいまいな精神が示す善悪により、生み出される懸隔から、権利を謳うだけの受注された力を発散するための怒りの構造から、懐疑的な日常に嫌疑を重ね、擬態化する精神は、価値観の中でゾンビと化し、感情も持たずにさまようだけにひたるような過ちこそが、誤りであることに気付かずに、そこで与えられる価値こそがすべてだ、と惰性に生み出された価値から、完治しない苦悩が加工され、そこに巻き込まれていく苦しみに疎外され、自らの孤独感に耐えかねずに、体系化され、簡単に処理されるだけの意味の中での家畜として、右往左往し、政治参加や、消化するための食事から、散漫な意識が乖離し、理解を求めるだけに管理的に生きるだけの監視的な機能を果たすための善良な市民という独善的な手法から、死霊どもがさまよう幼稚な歓楽街に潜む絶対的な悪意を加工するだけの正義に疑念を持たずに、まったくもって無価値なものを求めるだけの流動的で、流行に捕縛されるだけの人間だけが、人間として扱われるほどに、人間からは懸け離れ、健忘的な獣として、無知なままに空疎な世を補完するための犠牲を続けるべきだ、と言い放つような狡猾なけだものが示す論理的な抗争へと巻き込まれていく白痴として、還元されるだけの獲物として、バビロンの中での餓鬼として、或いは感情も持たぬ化け物として、馬鹿者を食い物にするような連中が指し示す意味に閉め出されることに対するよろこびを溜め込み、いっさいを破壊し立て直すためだけの純粋な破壊などは、創造性にいたらずに、破壊する快楽が用いるよろこびにひたるだけで、何も見出せずに、ただ、現れる今すらも破壊し、今を独善的に消費するだけの者どもの私腹を肥やすためのマーチがうながす呪詛的な快楽的で軽薄な騒音がうるさく響くような堕落した世界などと悲観するよりも、関することから逃げ惑い、何にも誰にも捕まえられないように駆け抜ける。

2017年9月24日日曜日

正義も潰えた夜について


 終わりに近づき、心がチクチク痛むわけでもない、あらゆる刺激を通り越しては、さびれた記憶に鎮座する面影は、単に重たいだけで、今に何ら影響を与えず、ただ、とおりすぎ、消費的な衝動だけが、世界性をかこみ、慢性的な痛みは、悲劇的なものを当て込んでは、混濁する意識は、表現を失い、多目的な理由が流動し、偏りを示す心を単一化すべきだ、と否定的な面影が今に便りを与え、攻め立てる。生じる運命は、単に消費的に迫る意味と逼迫し、貧寒なものをたずさえ、ままならぬ思いが通過するほどに、観念はゆがむのだ、と惰性な思いが、精査を下す。やさしそうな母の姿を重ねるような恋の瞬間から、余韻に入り混じる風景に転換し続ける思いに吹き付ける風のねばっこさにまじわる意識から始まる物語や、転化し続ける先に現れる永遠性や、制度に付着するための闇を生み出す過程をしりぞけ、純粋無垢な自己に行き着き、自らに比重を加え、苦しみから逃げ惑う先に現れる苦痛などは、すぐさま過ぎ去る。嘲笑されるだけの論理が寒空に協調性を求め、制度の中で膠着するわびしさに虐げられ、自らの健気さを喪失し、今に倒錯していく苦悩から伸びる意思的な緩慢さに表現は孤立し、自らの虚しさに抑圧された思いは、悲劇などを用い、自らを苦しめるためだけの苦悩にひたるような被害者意識を加速させる語源に抵抗を加え、ここに用いられた短絡的な苦悩との闘争を続けるほどに、革命とは、程遠くなり、縛られた意識は、がんじがらめになり、信じるべき自己を確立できずに、意味を従え、従順に理解することだけが、自己愛を敷衍させ、自らを愛することだけが、他者を愛するのだ、という虚しさを抱え、自らを愛するほどに、他者を愛するという意識からは、かけ離れる。すべての形式を捨てた後にだけ、透過していく意識は、形式的なものにさだめられ、強調されるほどに、補完されていく思いを昇華させるための抵抗を続けるべきことに気付かずに、均等化をめざし、平等を謳うほどに、短絡的な憎悪を加速させ、対象とされるものを恨むための他者を捏造し、自らの苦痛を昇華させるための証拠をでっち上げ、自らを納得させるために手懐けた従順な意志から、陰鬱な衝動を拡散させるためのツールを用い、自らの痛みを分散するための苦闘を高らかに歌い上げ、自らこそが、いちばん苦しんでいるのだ、と妥当に思い浮かべる理想から、理性をそこない、そこで沈積する憂鬱をむさぼるだけの貪婪な者として、あるいは、悲劇を格納するための悲観的な肥満体として、あらゆる苦痛を吸い込むことだけが、崇高な役目であり、そこでの役割だけで、約束とされるものに反し、ここでの意志を確かなものに変えるという愚鈍な行為に貧するだけの意思的なまがい物を溜め込むだけのケチな者として、いけ好かないものを強調するだけの段落に潜む悪意の根源や、悪魔的なものを捏造し、自らを利口な者に変換するだけの記号的な者としての役割だけが、自らの存在を強調するのだ、と惰性に導かれるものだけをランダムに消費するような過激な理想を企て、贋物の達成感などをうながすだけの虚偽的な者や、シンドロームに蓄積される苦悩を培養するような陰鬱な生産性だけが、消費を加速させるのだ、と謳う者や、生産的な排除を用い、何かを支配することだけが、ここで充当されるものを真実に変え、ここでの本質などは、すぐさま変換されるものへと飲み込まれ、物質的な本源などは、すぐさま切り替えられるだけにいたるのだ、と短観に潜む価値を悲壮するだけのニヒリストとして、背くための破壊からはびこる悪意を熱望する正義の矛盾を攪拌するような悲劇的でアイロニカルなアイドルとして枢要さを謳いながら、もたらされる意味にはびこる欠如に補完すべきものを捏造し、緩衝すべきものを持たずに、ただ、衝突を繰り返すことが、時代を飛び越えるのだ、と言い放つ間にも、完全性を用い、そこで善政を敷くほどに、自らのルールにしばられ、そこで敷かれたレールなどは、悪へと移行し続けるだけにいたるのだ、ともたらされた権力がカタルシスを求め、自らの死をも超越する間に、偽装されるだけの真実は、今に干渉し、自らの正しさだけをまき散らすプロパガンダに必死し、世界的ながん細胞へと偏執するだけの革命的な理想とは、ここで行いを正せずに、ただ、自らが正義として崇めるものだけが、正しいものだ、という認識のズレから、自らを疎外させ、自らの苦しみを昇華させるためだけの闘争を続け、つたない意思は、愛がなんたるかを知らずに、ここで構築されるものの巧緻なたくらみに疎外され続けることで、短絡的な暴力性は、制度を打ち砕くための短絡的な破壊活動へと移行し、自らの正しさを保つために、自らを騙すような矛盾から、暴力は加速し、破壊することだけを重点に置き、自らを置き換えるための理由を捏造し続け、自らを快楽へといざない、自らを操作するための傀儡を自らの中で作り上げるほどに、補完される苦しみは、自らを消費するための快楽へといざなうための理由を探し、自らを破壊するために、世界を破壊するのだ、というペシミズムに移行し、自らを正すための統合をめざすほどに、暴力性は錯綜するのだ、とうながすよりも、性質的な暴力性は、抑圧できずに、本能がむさぼり続ける破壊への快楽は解体できずに、そこで破壊することだけが、自らを正すのだ、という過ちには気付くはずも無いのが、性質的な暴力性であり、そこであてがわれる制度などは、その者を抑圧するほどに、次なる破壊をもたらし、自らとの訣別を用い、純粋な理想のために破壊し続ける自らの快楽のために破壊し続ける者を止める手立てなどは存在しない。

2017年9月23日土曜日

抵抗力


 神が人を作り上げたのではなく、人が神をでっち上げ、あらゆる意味を疎外させるだけの意味へと偏執した途端に、信じることとは終焉にむかい、退廃的なものへと変貌をとげた。措置された今に配されるだけの意味に結合されるだけの短絡的な言葉が強欲に迫るだけの資本的なジレンマから、独裁的な緩慢さが、今に苦しみを吐き出し、破壊的な苦悩をまき散らすだけの機械的な論理から、論証される限りに、この命は、陰ることだけに転化していき、確実性を失い、ただ、記号の中をさまよい、自らを愚鈍なものに成長させ、物質的な猶予から、誇大妄想を吐き散らすだけの科学的な伴侶や、疎外感をかかえるだけのデカダンスの化け物が生み出す価値から、画期的なものすら終わらすだけに始められることごとくががんじがらめになり、担うべき意味も、着せられたものだけをじょうずに着飾り、汚穢を生み出し、終わるだけに始められたことが反復し、今に苦悩を生み出すのだ、とペシミストの嗚咽がなびきながら、感覚を損なうためだけにためらいを生み出す体系から、携帯する意味が不悉さをかかえ、差異を生み出し、互いを傷つけるだけの動機を率いる王国では、裸の者しか居らず、舌足らずの者が騙る原理から、理想は、理性を失い、利子ばかりを支払うような言動から、乖離すべく、すべての理由とは、いっさいに鈍感さを孕ませ、何かを騙すためだけに蓄積されたノイズをかき鳴らしながら、ディストーションにゆらぐ空間的な破裂を繰り返すだけのナーバスな宇宙は、誰かの悲しみのために、自らの命をこすりながら、交互する命は、動機を求めるばかりで、意味を求めるだけの愛に転換していく苦悩は、空虚さをかかえ、自らのニヒリズムに飲み込まれ、意識は混濁し、混淆すべき瞬間や、主体性を求めるために演じることに明け暮れることで交換される意味から、今は幼稚なたくらみを繰り返し、自らを錯乱させ、過去を削除できずに、ただ、過去からうながされるものだけが、今を形成し、あたかも意味を生み出しているかのように示すようなものが延々と反復したおかげで、誰もが苦しみことに重点を置くような枢要さを持ち出すことに否定できずに、ここでなしとげたものも、過去から借りてきたものだけをあたかも重用なように扱うほどに、保持する意味から距離は生まれ、そこで阻まれるものが貶しながら、倦怠感をかかえ、重たい朝をかかえながら、暗澹とした路上で、何かを叫ぶほどに、そこでの空虚さは増していくのだ、と惰性に導かれるような信仰を元手に、自らを苦しませるための元金をかき集め、飽きたらずに、何かを求めるだけの競争は、強制的に何かと同化し、統合を求め、正常さを用いることへの異常さに気付かずに、自らこそが正義だ、と高らかに謳う者ほど、残酷な者は居らず、そこで処理されるだけのペシミストどもは、自らの過ちに気付かずに、自らを苦しめる自らを乗り越えられずに、そこでおちいるだけの闇を形成し、何かに責任転嫁することで、苦しみから逃げ惑うよりも、苦しみに投下し続ける先に現れる虚空との対峙を終え、そこでの苦しみなどは、継続されずに、ただ、迫る苦しみから逃げることで現れる苦しみを延々と偽装し続けるためだけに、苦しむことを演じることで、次の苦しみから解放されるような感覚におちいるほどに、苦しみに応じ、自らの苦しみに屈従することだけが、ここでの正義を保つ秘訣なのだ、と惰性に導かれる痛みは、今にかかえる痛みよりも、次に迫る痛みに自らを転化させることだけが、今の不安から逃げるための仕方の無い転化である、と次々に苦しみをかかえるほどに、保持し続ける苦しみの重さに耐えかねずに、自らに屈し、復讐を強請るだけの暗鬱とした症状は、表情すらも凍らせ、カタトニーにいたり、浸る今から観念をねじ曲げるような反発を生まぬ限りは、そこで凍結し、凝固し、身動きもとられずに、織り込まれ続ける苦しみに襞でもがき続けるほどに、次に迫る襞につつまれ、苦しみから逃れられなくなるよりも、そこから生まれ出るためだけに反抗し続ける先に現れるどうでもよいような間隔に迫る還元されるだけの虚構を打ち倒すような徒労を続け、退廃的な呪詛をうながすだけの感情的な汚穢にもとづく迎合的な言葉のまやかしを消し去るために、対面する自己との訣別を告げ、そこで捨て続ける先に置かれる現状などは、すぐさま消え去り、そこでの苦しみなどは、瞬時に幻影に変わり、そこで関わるものすべては、誰も恨まずに、そこで用いられる懶惰な者に排除されるだけの自己に苦しみを運ぶのは、自分であり、そこで用いられる言葉に騙されずに、そこで邪魔されてもなお、自らを立て直すためだけに、現れるすべてに反発し続け、そこでの反抗だけが、先々に抵抗を生み出し、波及され続ける苦しみを押し流すような影響を生み出すのは、自らだけであるし、そこでの苦しみを繰り返すほどに、強固になる不安は、そこでの苦しみだけを強調し、自らを苦しめるためだけに繰り返し苦しむことを強要し、そこで有する価値などで、いっさいを加工し、そこで圧迫され抑圧された自己を解放させるために求められる自由だけが、本質的な自由であり、それだけが理由を超えて、希望へと変化するような昇華を生み出し、死をも乗り越え、そこで強固な意志を用いることだけが権力と呼び、用いられる権力などは、そこでの力に抵抗を加えず、与えられた影響により左右し、作用を施すだけの権力などは、力とは呼べず、そこに現れる影響に反することだけが、力であり、あらゆる反発こそが、そこでの苦しみを乗り越え、自らに英気を与え、次々に現れる苦しみを乗り越えるための準備をし、あらゆる苦しみを乗り越える強度を保つことだけが、力と呼び、何事にも左右されずに、自分であることの強度だけが、自らに力を授ける。

2017年9月22日金曜日

プリミティブ


 乗り越えるべき夜を折りたたむシンドロームや、信号機に重なる一瞬のため息が交差する渋滞しているだけの人々の幼稚な理念を排出しているだけの車中で永遠性をたしなむような恋どもの嗚咽や、引き裂かれた感情を充填するだけのペシミズムが運び込む浸るだけのペインや、陰鬱な衝動を巻き込むだけの不安などを昇華させるべく、理性などを保つほどに、本能とは、凡庸なものをちらつかせ、近付くものを傷つけることだけに専念するような思春期の終わりが溜め込む汚穢や、横溢していく瞬間にドラマがあふれるのだ、とメロウな深夜に入り込む背徳や、死を映像化するだけの静謐さを超えるべく、理想とは、理性を保つための記号にすぎない、と惰性に導かれる主観にあふれる敗残していくだけの記憶は、抵抗することをおぼえずに、現れるものに変換されることで、モニュメントと化すほどに、補填される苦しみは、憎しみを敷衍させ、不吉な予感をたずさえた不安から、俯瞰とは危害を加えられ、汚れたものを整序するためのためらいを生み出し、対価を求めるだけの自然的な回路をショートさせるだけの不安定さを生み出し、等差を生み出し、平等を謳う獣どもにリンクする過程から、締結していく思いは、軽快さを失い、自らを恨むことで、何かを機能させるような発信を続け、自らを損得で埋めるだけの世界からの脱兎を目論まずに、現れるものに傷つくことだけが、正しいものへと変化していくのだ、と惰性に生み出される意味をかぶりながら、自分こそは、綺麗なままで居ようと思うほどに、異様なものとして排除され、疎外感に苛まれるのだ、と性差を用い、そこで差異を生み出すほどに、見出すべきものは、継続された善悪に支配され、行き違う場面は、誰かを恨むための緩慢な作用を用い、モチーフとされる正義をかかげ、犠牲を謳うだけの幼稚な支配から、宗教的な神よりも、自らを神格化させ、真の悪へと昇華するための自らを定めるような幼稚な犠牲から、支配は加速し、そこでもたらされる苦しみを用い、誰かを騙すための犠牲だけが加工され、そこに現れる品性などは、性質を破壊し、本質的なものを翻弄し、何かをひるがえすためにためらわずに破壊を続けるような愛へと厭わずに侵攻していく定理にもとづく迎合を続けながら、偏りを生み出すだけの兵器的な信仰だけが、本質的な愛へといざなうのだ、と謳うような仮説を踏みにじりながら、憎むことでしか生み出せぬような弱者の思想から、思考停止におちいるだけにいたるような意味に応じるだけの大衆的な安堵などは、あいまいな執務を追うだけで、値するものを正しくに認識することもできずに、価値を見出すのだ、と達成感に酔い痴れながら、信条を用い、何かを騙すための思想を生み出すようなデカダンスが価値を用い、何かに対し、あらゆる原理を捕食するための記号を生み出し、緩慢に作用する幼稚なたくらみから、大義を見出せずに、惰性に導かれる先々で対価を謳いながら、まぼろしを愛し、まぼろしと契約を結び、永遠の愛を誓うほどに、違いを見出せずに、そこでみすぼらしいものを強調するだけの愛へと偏執していくほどに、自らとの懸隔は広がり、背徳を謳う自由と、そこで従事することで生み出される資本的な快楽から、傀儡として生きるためのツールとして、フラクタルな人間を生産し、何が正しくて、何が悪いのかを調教されたマゾヒストどもの楽園で、同族嫌悪におちいり、後続する者を蹴落とすための規律を生み出し、あらゆる論理から編み出された欺瞞を崇拝しながら、しどろもどろな意識の汚濁の中で、簡易に示される愛が、自らを閉め出し、そこで反芻し、反復し続ける意味の中で顛末を綻ばせるだけの統合から、等位を用い、何かを示すための名称に騙され続けるほどに、自らがうながす意味の中で喪失感をたずさえ、延々と引きずるペシミズムの中でかかげられた価値だけが、自らの美徳や、自らが用いる価値などを強調することでしか、自らを正しく認識できないような軽薄さを従え、自らを抑圧し、時代や社会を恨みながら、堅持する意味に誇示するだけの今から離れられずに、放たれるべき意味から、今に移行していくほどに補填される苦痛をルーツとし、ルールで拘束しながら、理念を喪失し、大義を見出せずに、純粋な破壊のためだけに、ためらわずに愚行にいたるような今に犠牲をもたらすだけの対比を繰り返すだけの退廃的なモジュールとして共通の意味を吐き出すだけの管轄こそを破壊し、そこで介するほどに、自らとは、自らの手により破壊され、果敢に挑むことすら忘れ、そこでうながされるものを、うながされるままに愛してるふりを続け、不利益や、不利なものに振り回され、そこで理性すらもそこなわせるような快楽を加速させるだけの理想などは、捨て去るべきである。

2017年9月21日木曜日

悲愁を乾かす晴天


 迎合されるだけの言葉が今に攻め入る。生命の起源を狂わせた威厳が今にも割って入り込み、背徳を謳うものを排除する闘争から、統合をめざすほどに、平等や均等とはほど遠くなり、担う意味を背負い続けるほどに、倦怠感は増していく。あらゆる論理から疎外され、孤立してもなお、そこで響くものだけが、本質を捉え、自らに帰り着き、戒律などを施すだけの愚弄を繰り返すだけの悲劇から逃れ、倒錯するほどに増していく自らがもたらすものだけがシンプルに真理の深層に浸透し、均等なものほど、そこでもたらされる差異や懸隔から放たれる欺瞞により不満足をもたらし、何かを破壊するための疑問を用い、闘争へとおちいり、自分こそが正しい、とうながすだけの理由だけが、希望へと変化し、底の無い悪意から、あいまいな毎日にもたらされる屈辱から、仮想するほどに、用いられる過程に苦しめられ、支えを求めるほどに、自らをゆがませるような欠如から、配される愛の配下になり、求める愛から求められるだけの元手や、横暴に迫るだけの愛が幼稚に互いを傷つけるだけにいたらせるような幼い希望は、自らを破壊するためだけの純粋な愛を利用し、もたらされる死から逃れるための正当を謳い、求められるだけの愛は、自らの健気さにより、誰かを傷つけることで得られる快楽に浸り、貧相な愛は、自らの本質を知らずに、真実をまさぐりながら、与えられた答えに左右され、用いられる苦しみを跛行しながら、錆びられた記憶が裏切りをほのめかし、奔走し続ける意識は、自分の孤独に帰り着かずに、ただ、うるさいだけの喧噪へと理解を求めるほどに、自らを見失い、何かと同化し、統合された正常さを謳うほどに、行為は、元々の純粋さをそこない、そこでさまよい続ける貧寒な現在に理解を得ようと目論むだけの狡猾な者に奪われるだけの意識は、自らの意志を虐げ、自らを破壊するためだけの純粋な理想から、理性はそこなわれ、そこでもたらされる事実だけが、正しいものを語るのだ、と現実主義的な者が示す差異などは、本質を捉えられずに、用いられる答えだけに帰巣するほどに、自らの行き場を無くし、求めるだけの居場所を求めさまよい続けるほどに、存在の軽さに耐えかねずに、誰かを破壊するための理想を用い、誇大妄想をかかえた未熟で幼稚なルサンチマンに変化し、偽装されるだけの真実は、要理を謳いながら、身近な者の意思を奪いながら、操作し続けるよろこびから、右に習え、と同調し、協調性を謳うほどに、用いられる真実は、事実との懸隔を広げ、感覚を奪うだけにいたり、いたらぬ思いは、いぶかるほどに、自らを裏切り、過去の面影に浸り、自らの苦しみを敷衍させることだけに加速するニヒリズムは、さらなる破壊を高らかに歌い上げ、自らの世界の終わりに保たれる均衡や、周辺をも破壊するために、自らの世界と全体的な世界との統合をめざし、純粋な破壊へといたらせるだけのルサンチマンを加速させ、悔悟をため込まずに、ただ、純粋な理想のためにもたらされるだけの破壊だけが、自らを浄化させ、緩慢に作用するだけの苦しみから解放されるのだ、と思い違いを生みながら、快楽は加速させ、解放を謳うほどに、即される間から、あいまいな愛はマインドを奪い、毎日を退屈に変換するだけの記号として、自らを定める幼稚な理想では成熟にはいたらぬのだ、と否定的に攻め入るだけの精神分析的な開祖どもは、自らの集落を守るためだけに、自らの正当性を謳うだけであるし、組織とは、その場での権力を保つためだけに、自らを正当化させることに必死なだけで、誰のためでも無いでたらめな理想から、出来合のものを真実に変えるための理想から、理性は喪失感をかかえ、自らの不実を隠すための体系的な正しさを利用し、理想的な死へを追いやるだけの正当性から、現実性とはそこなわれ、幻覚をもたらし、変革を謳うほどに、自らを破壊するだけの純粋な理想を駆け巡るペシミズムに追いやられるだけの精神は、敬神へといたり、自らを信じずに、何かに信じることを強制し、同調し、同情へといたることだけが愛だ、と語ることで、カタルシスにいたるようで、実際はカタトニーにいたり、自らが硬化し、愚鈍な者として崇めるだけの定型の神から、分散した不安から、憤懣を解除するためのコードを用い、何かを解放にいたらせ、自由などを謳うだけの短絡的な隘路を歩ませるだけの日々に迫る退屈へといざなうための退屈を捏造し、体系化していくほどに、内部での権力は暴走し、暴政を生み出し、制御不能におちいり、よいものをめざすほどに、わるいものを捏造し、偽装され続ける真実を保つための虚偽を続け、そこで形骸化するだけの意思が熱望するものなどは、所詮、誰のためでもなく、自らのためでもなく、そこで求められるものへと偏るだけの理想を生み出し、理性を制するための法で囲むほどに、猜疑心は増し、互いを監視することで得られる安心のための制度がもたらす不安だけが加速する。